Goodbye Sunday

~東京近郊で週末ソトアソビ~
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自分の年齢を客観的にみて、立ち位置を自覚してみる

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現在、僕の年齡は24歳。今3年目の社会人生活を迎えている。


いわゆる社畜のような働き方をしており、寝ても覚めても仕事の事が頭をよぎる。
 
当然しんどいこともあったが、
まーそういうもんだろうと思って、そうこうしているうちにまた新しい1年を迎えた。
 
日々の生活に忙殺されていると、あたかもそれが自分の全てのように錯覚してしまう。
僕自身、この2年間は常に上司とクライアントの顔色を伺いながら、その評価に一喜一憂してきた。
それはそれでサラリーマンである以上、自然な傾向であったと思うが、
同時に自分の視野や可能性が凄く狭くなっていってることに気付いた。
 
世界は思っている以上にたくさんあって、面白い。
 
これは今務めている会社に対するネガティブな話とかではなく、
”色んな世界がある”と認識して働く方が豊かな気持ちでいられる。というだけの話である。
 
最初の3年は会社一本に絞るぐらい目の色を変えて仕事に没頭しろという意見も当然あるだろうが、それだけではあまりにもったいない。
可能性が無限大だからである。それをもっと自覚すべきである。
 
今の自分の年齡を意識して働いたことはあるだろうか。
一年目から結果を。三年目にはリーダーに。という野望ではなく、もっとマクロで客観的にみたものである。
 
 
今一度、自分の年齢を客観的にみて、立ち位置を自覚してみてほしい。
 
 
例えば、僕の年齡は24歳で、今中学生の子たちをみると
 
「こいつらは夢や希望に溢れていていいなあ。なんでも挑戦できるなあ」
 
そんな感情を抱く。
 
ただそれと同じことを今団塊の世代は、僕達に抱くんじゃないでしょうか。
 
「若いって最高だな。なんでも元気に頑張れよ。たくさん挑戦しろ。」
 
さらに団塊の世代はおじいさんおばあさん達にそう思われているんじゃないでしょうか。
 
 
健康である限り、なにを始めるにも遅いことは本当にない。
大体の人は年齡という意味で、誰かに憧れられているポジションにいると思う。
 
「あの頃ああしてればよかった」という”あの頃”に今立っているはずなのである。
そう思うとなんだかポジティブな気持ちになれる。
 
狭い世界や、理想的な年のとり方?みたいなものが一般論に根付きすぎていて、
挑戦することやアウトローな人生を歩むことへの話には常に嘲笑的雰囲気がつきまとってているような気がする。
 
ただ恐れずに挑戦し、そして継続すればきっと”あの頃”を嘆かずに、一生を終えられる気がします。
 
だから、今日も明日も頑張る。
 
おわり